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2015-10-29

月命日

 

最愛のフェレット、ペリドットペッシが星になってから
今日で丸一カ月です。

 

01.最後のペッシ①
最期の日に撮った3枚の写真を掲載します。
大好物のミルクを飲んでくれたこの時は、まさか明日にはもういないなんて思いもしませんでした。

 

この日はたまたま仕事が休みで、私は家にいました。

この半月ほどで急に衰えたペッシは、後ろ足が立たなくなって
前足だけで進んでいる状態。

 

それでも良く食べ、良く寝ていて
まさか、その日がこんなに早く来ようとは思いもしなかった。

 

●     ●     ●

 

数年前、ペッシが原因不明の体調不良で体重が半減し
痩せ衰えて、いつ死んでもおかしくない様子だった時

 

その時、かかりつけの動物病院で言われたのは
「うちはフェレットの専門ではありませんよ」ということ。



出来ないことは出来ないと言ってくれるのを
私はとても誠実だと思ったし、今でもその気持ちに変わりはありません。

 

 

2軒目の病院でも同じように言われましたが
一応診て頂いて、初めに処方された薬では改善がみられず

2度目の薬は運よく聞いたのか、劇的に良くなりました。

 



少しずつ食欲が戻ってきたペッシを、腕に抱えて朝に夕に

ぬるま湯でふやかしたフェレットフードと、ミルクをシリンジ(注射器)で
時間をかけて食べさせるのは、幸せで愛しい時間でした。

 



でも、その時少し気になることがありました。

 

 

ペッシは死の波に、乗りそびれてしまったんじゃないか?

 

02.最後のペッシ②
トイレに間に合わないことが多くなった晩年のペッシ。
この日、どこで粗相しても良いように、部屋中にペットシーツを敷き詰めたのでした。

 

●     ●     ●

 

これは私の勝手な見解、というか死生観なのですが

 

誰にでも最適なタイミングで訪れる「死の波」があって

 

その波に上手に乗れたら、苦しまずに逝くことが出来るんじゃないかと
つねづね思っているのです。

(私も経験があるし、闘病中のペットちゃんを否定しているわけではありません)

 

 

食欲がなくて、徐々に弱っていくという方法は
数ある死の中でも、ずいぶんと穏やかで優しい死に方だったのではないか?

 

 

私は上手に死にゆくペッシの、邪魔をしてしまったんじゃないか?

 

 

私は自分の最期は、誰にも邪魔されず
静かにすっと、死の波に乗りたいなんて思っていたのに

 

 

大切なペッシを、自分が寂しいからというだけで
引き留めてしまったんじゃないか?

 

 

この先、ペッシが何か苦しむようなことがあったらどうしよう。

 

 

あの時、死ねていたら
ずっと楽で良かった、なんて思う日が来たらどうしよう。

 

 

そんな不安がずっとありました。

 

●     ●     ●

 

でも、幸いにして「優しい死」は、やはり寄せては返す波のように
もう一度ペッシのもとにやって来てくれました。

 

 

今度は迷わず、送り出してやれました。

 

 

ペッシは穏やかに、眠るように逝きました。

 

 

 

 

もちろんその後、ドロドロに泣いたけど

 

 

今も思い出して泣くこともあるけど

 

 

7年半は、そう短い年月じゃない。

 

 

 

ペッシに起こった、何もかもを否定したくないから

それが死でも受け入れる。

 

 

 

本当に今までありがとうペッシ。

 

 

03.最後のペッシ

 

 

ずっと大好きだよ。

 

 

 

 

 

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コメント2件

 雅子 | 2015.10.30 0:01

わかります。
私も2人見送りましたから。

うちは延命を望まない鼬で…
私は彼らの思いを尊重したいとお迎えして暫くしておもいました。

彼らは自ら旅立つ時にスイッチを押します。
人間の思いとは関係なく。

どれだけ一緒に居たかより

どれだけ濃い時間を過ごせたか。じゃないかな?と…

ペッシちゃん
幸せだったはず。
だから苦しまずに旅立てた。

生きている時よりも居なくなってからの時間の過ぎ方が早いですね…

ペッシちゃんは幸せです。
今も側に居ますよー。

 naya | 2015.10.31 11:18

雅子さん、鼬の想い尊重したいです。

犬よりも猫よりも、彼らは人から離れた処にいる生き物だって
一緒にいるとつくづく思います。

私がこうあってほしいと思うことと、彼らがこうしたいと思うことは多分違っているから
できるだけ、彼らの意思にそわないことはしたくない。

でも一方で、手術したという話を聞くと
「飼い主さん、良く決断したな。勇気が言っただろうな」と思うんです。
あの小さな体の柔らかなおなかを切るというのは、本当にすごい決断です。

だから、何が良い悪いでなく
その時その時の、人と鼬の状態、ケースバイケースで
双方にとって最善の最期を迎えられたら、それが一番の幸せですよね。

この記事を書いたことで、改めてフェレットまた飼いたいって思えてきました。
いつか、縁があったらまた。

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